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大政奉還が成立しました。これで、龍馬念願だった平和裏での江戸幕府の終焉が、実行出来る・・・と信じて良いのでしょうか・・・。
(ドラマでの二条城大広間のセット、よく出来ていました。若干質素な感じがしましたが、鴨居などもしっかり作られていて驚きました。)

 そして、龍馬は本当に四面楚歌となりました。徳川慶喜、西郷隆盛、木戸孝允、近藤勇、岩崎弥太郎・・・あらゆる方面の人物からねたまれる存在となってしまいました。次週はこの中の一体誰が龍馬を・・・。それともどんでん返しがあるのでしょうか。さあ、泣いても笑っても残すは来週のみ。

【なぜ、急転直下で大政奉還が成立したのか?】
 第15代将軍徳川慶喜の発した『大政奉還』。実に急転直下の出来事でした。260年以上続いていた徳川幕府の幕を閉じるには、非常にあっけないものでした。
この急転直下の理由は、何だったのでしょう。

答えは、ただ1つ。
『幕府にとって勝ち目の無い薩長連合の倒幕挙兵が、間近に迫っていた。』からでした。

 薩摩と長州は、慶応3年6月頃から挙兵倒幕に向けて動き出していました。
9月17日には、薩摩の大久保利通が長州藩入りし、木戸貫治らと会談します。翌日には藩主の毛利敬親らに接見し、薩摩と長州は、武力倒幕の方向で盟約を締結。倒幕の挙兵へのカウントダウンが始まりました。
1年前、長州一藩にさえ負けてしまった幕府軍が、薩摩も加わった薩長連合軍に対する勝算は、ほとんどありませんでした。従って、徳川側としては、戦争は避けるしかなかったのです。

 そこで、秘策が現れました。土佐藩が推す『大政奉還』です。
同じく9月初旬から、京都に上って大政奉還の周旋を開始していた後藤象二郎が、9月20日に幕府の大目付の永井尚志(玄蕃)から呼ばれます。
ここで、永井から発せられた言葉は、「大政奉還の建白書を提出したらどうか」という催促でした。このとき既に幕臣の一部は、「大政奉還」しか道が無いことを悟っていたのです。
そして10月3日、土佐藩の『大政奉還建白書』は、後藤象二郎らによって二条城に陣取る徳川側に正式に提出されたのです。内容は次のとおり。少しだけ読みやすいように訳しています。

誠惶誠恐、謹しんで建言仕候。天下憂世の士口を鎖して言はざるに馴れ候は、誠におそるべきの時に候。朝廷、幕府、公卿、諸侯、旨趣相違ふの状あるに似たり。誠におそるべきの至りに候。此のくは吾人の大患にして、彼の大幸也。彼の策ここに於てかなり候というべく候。かくの如き事態に陥り候は、その責畢竟誰に帰すべき哉。併し既往の是非曲直を喋々弁難すと雖も何の益かあらむ。唯願ふは大活眼、大英断を以て天下万民と共に、一心協力、公明正大の道理に帰し、万世に亘って恥ぢず、万国に臨て不愧の大根底を建てざるべからず。此旨趣、前月上京の砌にも追々建白仕候心得に御座候得共、何分阻隔の筋のみ有之、その内不図も旧疾再発仕、不得止帰国仕候。以来、起居動作とも不随意の事に成至、再上の儀暫時相調不申候ば、誠に残憾の次第にて、只管此事のみ日夜焦慮仕り罷在候。因て思慮の趣、一々家来共を以て言上仕候。唯幾重にも公明正大の道理に帰し、天下万民と共に、皇国数百年の国体を一変し、至誠を以て万民に接し、王政復古の業を建てざるべからざるの大機会と奉存候。猶又別紙御細覧被仰付度、懇々の情難黙止泣血流涕の至に不堪候。
  慶応三丁卯年九月 松平容堂


建白書の写真の一部は、下記URLでどうぞ。
◆大政奉還建白書の写真へジャンプ◆

また、この建白書と一緒に提出された副書には、龍馬の『船中八策』の内容が盛り込まれていました。

 龍馬も10月9日に京都に入り、大政奉還周旋のバックアップを行います。幕府の永井尚志(玄蕃)に会い、薩長が挙兵すると幕府は太刀打ちできないことを諭します。

 そして、建白の日から数えて10日後の10月13日、徳川慶喜は、二条城に諸藩40藩の家老等を招集し、『大政奉還』の意向を表明したのです。薩長の倒幕の盟約から、1ヶ月足らず・・・江戸幕府は雪崩のように崩れて行ったのです。


【大政奉還建白の裏で計画された、にせ金作り】
 この大政奉還建白の周旋が行われている最中、龍馬たちは驚くような計画を立てます。
10月10日付けの後藤象二郎宛の龍馬の書簡を紹介します。現代語訳で紹介しましょう。

先日、建白書にて国を一つにし、政治を一新するような提案をしましたが、まずは将軍職をどうするかという話はいつ行っても良いのです。まず実行しないといけないことが一つあります。それは、江戸の銀座を京都に移すことです。これさえ実行すれば、将軍職をそのままにしても、将軍など中身の無いものになり、恐れるに足らずです。(後略)

銀座、つまり通貨の発行機関を江戸から京都に移せば、江戸は自然と衰退する・・・と龍馬は言っています。
龍馬は、通貨の流れを掌握することで、世の中をコントロール出来る事を熟知していたのです。

 また土佐藩士岡内俊太郎が、土佐藩重臣の佐々木高行に宛てた書簡に次のような記載があります。これも現代語に訳してみましょう。

龍馬の考えにより、薩摩藩において作り始めた二歩金の模様、仕上がり品を受け取って来ました。本藩においても、薩摩と同様の品を作らないと出遅れてしまう。藩内で調整して、薩摩と同じ方法を習得したいと私から申し出ましょう。ただこれを作るのは、なかなか難しいようで・・・(後略)

なんと、龍馬の考えで、薩摩で金貨の製造に着手していたのです。倒幕直後の通貨安定のためなのか、にせ金を流通させて、実権を握ろうとしていたのか定かではありませんが、先を見据えた龍馬のしたたかさには脱帽します。




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