船中八策が、八人のアイデアの集約だったとは・・・恐れ入りました。木戸孝允、横井小楠、吉田東洋、高杉晋作、勝海舟、武市半平太、久坂玄瑞、河田小龍・・・これまでの彼らの言葉を吸収した龍馬が、船中八策をまとめあげた。そう彼らの代返者、これが龍馬の真骨頂なのです。
 船中八策に続き、薩土盟約の締結、下僕藤吉の登場と、ドラマがクライマックスに向けて、どんどん進んでいることが、否が応でも思い知らされました。
次が見たいという思いと、終わりに近づく寂しい思いと・・・複雑な心境です。

【船中八策をまとめたのは、龍馬だけではない??】
 龍馬がまとめあげたとされる『船中八策』。
ドラマでも龍馬が説明をしていましたが、今一度、実際の内容を記してみましょう。

一、天下ノ政権を朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。
一、有材ノ公卿・諸侯及天下ニ人材ヲ顧問ニ備ヘ、官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ニ官ヲ除クベキ事。
一、外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ニ規約ヲ立ツベキ事。
一、古来ニ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ニ大典ヲ撰定スベキ事。
一、海軍宜シク拡張スベキ事。
一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。
一、金銀物貨宜シク外国ト平均ニ法ヲ設クベキ事。
 以上八策ハ、方今天下ノ形勢ヲ察シ、之ヲ宇内万国ニ徴スルニ、之ヲ捨テテ他ニ済時ノ急務アルベシ。イヤシクモ此数策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国ト並立スルモ亦敢テ難シトセズ。伏シテ願ハクハ公明正大ノ道理ニ基ヅキ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。


 ドラマでは、龍馬が書き上げたという演出でしたが、実際はどうなのでしょう。
 実は、この『船中八策』、原稿や写しなどは、一切残っていません。
この八策は、ドラマにも度々出てくる、記者兼小説家の坂崎紫瀾(さかざきしらん)著「坂本龍馬海援隊始末二」に以下の前書き続いて記されているのみ、なのです。

慶応三年丁卯六月十五日、後藤初テ大政返上の建白ヲ藩論トスル二決ス。龍馬為メ二長岡謙吉ヲシテ、八策ヲ草セシム。中岡日記二曰ク、同十五日晴、後藤面会聞、昨夜政府議論決ス云々。才谷面会云々、所謂八策ナルモノ左ノ如シ。

 つまり、龍馬直筆の原稿などは残っておらず、唯一記されている史料においても、龍馬本人ではなく海援隊士である長岡謙吉が、龍馬の指示により起草したとしています。
つまり、『船中八策』は、長岡謙吉がまとめ上げたものでした。
 長岡謙吉はドラマでは表に出てきませんが、医師の父親を持つため医学などの知識があり、また蘭学にも長けていました。更には、後に『藩論』という、新しい国づくりを示す書物も出版しています。長岡謙吉は、海援隊きっての知識人であり、船中八策起草の適任者だったのです。

 では、龍馬はこの八策作りにどのような功績を残したのでしょうか?
恐らく、八策をまとめ上げようと、アイデアを出したのは龍馬でしょう。
そして、龍馬自身が書き記した、『船中八策』の広報版とも言える『新政府綱領八策』を用いての周旋活動でしょう。

第一義 天下有名ノ人材ヲ招致シ 顧問ニ供フ
第二義 有材ノ諸侯ヲ撰用シ朝廷ノ官爵ヲ賜ヒ 現今有名無実ノ官ヲ除ク
第三義 外国ノ交際ヲ議定ス
第四義 律令ヲ撰シ 新ニ無窮ノ大典ヲ定ム 律令既ニ定レバ諸侯伯皆此ヲ奉ジテ部下ヲ率ス
第五義 上下議政所
第六義 海陸運局
第七義 親兵
第八義 皇国今日ノ金銀物価ヲ外国ト平均ス

右預メ二三ノ明眼士ト議定シ諸侯会盟ノ日ヲ待ッテ云々
○○○自ラ盟主ト為リ 此ヲ以テ朝廷ニ奉リ 始テ天下万民ニ
公布云々 強抗非礼公議ニ違フ者ハ断然征討ス 
権門貴族モ貸借スルコトナシ
慶応丁卯十一月 坂本直柔



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龍馬は、この『新政府綱領八策』を手に持ち、土佐藩、長州藩、薩摩藩の間を駆け巡ったのです。




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