高杉晋作が逝きました。長州という荒々しい国の中で、ある時は激しく、ある時はスマートに人生を全うしました。満年齢でいうと、わずか27歳と少しだった命。非常に太く短い人生でした。
 一方、龍馬らは海援隊発足と、大洲藩所有の蒸気船『いろは丸』で初仕事に挑みます。順風満帆で船出した海援隊。前途は如何に。

【龍馬と高杉晋作、心と心の通じ合い】
 ドラマでは、龍馬は何度も高杉晋作と会う機会がありました。会って直接話をし、お互いの行動を見ながら親密な関係となっていきました。では、史実ではどうでしょうか。
 記録に残っている限りでは、龍馬と高杉が面会しているのは、2回のみです。
1回目が、慶応元年10月、龍馬が長州藩馬関で桂小五郎と会談した時に、高杉も同席していました。会談の目的は、薩長同盟の周旋。薩摩から提供される予定である食料の購入に関する会談でした。この時に、龍馬は高杉からピストル(スミス&ウェッソン)を贈られています。
そして2回目が、慶応2年の第二次長州征伐での馬関戦争。当時の亀山社中が参戦した時に、高杉と合流しています

 わずか2回しか会ってはいませんが、2人の関係は、出会いの回数ほど希薄ではなかったと考えられます。最初の出会いで、ピストルの寄贈があったということは、直ぐに意気投合したことが容易に推測できるわけです。
では、なぜ二人は意気投合出来たか・・・。それは、お互い楽しく生きることが出来る世の中を切望していたからだと考えます。

 高杉は、死の直前に次のような辞世の句を詠んでいます。

おもしろき こともなき世に おもしろく

そして、見舞いに来ていた女性勤王家野村望東尼が、下の句を詠みました。

すみなるものは 心なりけり

(高杉の句は、一般的に「おもしろき こともなき世を おもしろく」という具合に「世を」と表現されることが多いですが、正しくは「世に」です。1文字の違いで、意味が大きく変わってしまうので、要注意です。)

そうです。高杉は、「面白くない世の中でも、面白く生きていきたい。」と。
そこで望東は、「面白いか面白くないかは、自分の考え次第です。」と返したのです。

高杉の「面白き」ことのひとつに、外国(欧米)への留学がありました。海外に出て、多くの知識を得たい。彼は、何度も欧米への留学を計画しましたが、実現することは出来ませんでした。

龍馬も、海の向こうの政治や文化を知りたいという願望を強く持っていました。
お互いに「日本から外に出て活躍したい。」といったような夢を語り合って、意気投合したことでしょう。
龍馬と高杉晋作は、同じ夢を実現する・・・という思いで、つながっていたのです。

そして、龍馬は、高杉晋作から夢を託されました。夢を実現するためには、もたもた留まることなどできません。龍馬は、全力で駆け出しました。




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