慶応2年1月24日、龍馬の人生での最大級の危機、寺田屋騒動が勃発しました。なかなか臨場感あふれる龍馬、三吉慎蔵と伏見奉行所の追手の争いでした。手に重傷を負った龍馬。材木置き場で、身動きが取れなくなった龍馬。まさに実際の龍馬はこんな感じだったんだろう。助かってくれ・・・と手に力が入るシーンでした。良い内容でした。

【お龍さんは、裸だったのでは?】
お龍さんが、幕府の追っ手が来たことを龍馬に知らせために、風呂場から2階にかけ上がるシーン。お龍さんは、襦袢(じゅばん)を一枚羽織っていました。
一般的にこの有名なシーンは、お龍さんが“全裸”で龍馬に急を知らせた・・・というイメージが定着しているのではないでしょうか。これは、過去の様々な小説、映画、ドラマで演出されているからでしょう。特に最も影響が大きいのが、司馬遼太郎先生著の『竜馬がゆく』。この小説では、次のように表現されています。

(捕史。-)と、思ったとたん、おりょうはそのままの姿で湯殿をとびだした。自分が裸でいる。などは考えもしなかった。
裏階段から夢中で二階へあがり、奥の一室にとびこむや、「坂本様、三吉様、捕り方でございます」と小さく、しかし鋭く叫んだ。
竜馬はその言葉よりも、むしろおりょうの裸に驚いた。昂奮しているせいか、目にまばゆいほどに、桃色に息づいている。
「おりょう、なにか着けろ」と言いすて、三吉慎蔵をふりかえった。


 では、史実では、どうだったのでしょうか。最も参考になるのが、当事者、つまり龍馬、お龍さんの証言です。彼らは個別に当時の状況を記しています。まずは、お龍さんから。
『続反魂香』、『千里駒後日譚』、『阪本龍馬の未亡人』という3種類のお龍さんの晩年の回顧録それぞれに、このシーンの回想が記されています。

『続反魂香』
 お良は今はー所懸命彼奴等が行かぬ其内に早く知らせやうと、帯引き締むる間も遅しと、兼て造へて置いた秘密の階子から、二階へ飛び上るが早いか、四人の居る居間へ転げ込むで、ただ大変でいます、・・・

『千里駒後日譚』
 騒ぐと殺すぞと云うから、お前さん等に殺される私ぢゃない、と庭へ飛び降りて濡れ肌に袷(あわせ)を一枚引っかけ、帯もする間もないから、跣足(はだし)で駆け出すと・・・

『阪本龍馬の未亡人』
 あの時、私は風呂桶の中につかっておりました。これは大変だと思ったから、急いで風呂を飛び出したが、全く着物を引っ掛けておる間もなかったのです。実際、全裸で恥も外聞も考えてはおられない。・・・


 『続反魂香』では、「帯引き締むる間も遅しと」と、帯を締める時間まではなかったものの、着物は羽織っていたと考えられます。
 『千里駒後日譚』は、「濡れ肌に袷を一枚引っかけ」ということで、同じく裸ではなかった様です。
最後の『阪本龍馬の未亡人』のみは、「全く着物を引っ掛けておる間もなかった」と全裸であったことを説明しています。

 次に、龍馬はどうだったのでしょうか。慶応2年(1866)12月4日付けの坂本家宛ての書簡に、寺田屋事件の内容が記されています。追っ手が迫って来た時から、薩摩藩に救出されるまで、非常に詳細で、臨場感あふれる記述で説明を行っています。お龍が龍馬らに急を知らせたシーンを記します。

 おり柄兼而御聞に入し婦人、(名は龍今妻也。)勝手より馳セ来り云様、御用心被成べし不謀敵のおそひ来りしなり。

 以上、お龍さんの回顧録の中でも、着物を羽織っていると説明したり、全裸だったと説明したり、説明が一貫していないのです。お龍さんが、その時の気分で状況説明に脚色したのか、あるいは執筆した記者が加筆したのかは判然としません。
 また、龍馬の書簡では、「勝手から、走って来た」というのみで、特別お龍の姿についての記載はありません。
まあ、家族に「妻が裸で走ってきた」とは言いづらいでしょうし、龍馬の書簡もあまり参考にはなりません。

私は、以下の理由により、お龍さんは着物(あるいは襦袢)を羽織っていたのではないかと考えています。
(1)回顧録を脚色するなら、「全裸」と言った方が話は面白くなる。従って、「羽織っていた」が史実の可能性が高い。
(2)いくら緊急であると言えども、手元にある着物を羽織る時間くらいはあるだろうし、女性が一人で大勢の男の前に出るのに、全裸でも良いという判断を下す可能性は低い。

 お龍さんが、裸だったかどうかという下世話な話題でしたが、いずれにしろ急を知らせたお龍さんは、すばらしい活躍だったのです。

【龍馬の負った傷の深さ】
 傷を負った龍馬、今日のドラマでは、もうこの世を去ってしまうのではないかと思わせる危機的な感じがしました。
上述した、坂本家宛ての書簡に、自身の傷の状況を報告しています。

敵壱人、障子の蔭より進ミ来り、脇指を以て私の右の大指の本をそぎ、左の大指の節を切割、左の人指の本の骨節を切たり。元より浅手なれば・・・(中略)
是幸いと五町斗りも走りしに、私病後の事なれバ、いききれあゆまれ申さず・・・(中略)
扨て、彼指の疵(きず)ハ浅手なれども動脉(どうみゃく)とやらにて翼日(よくじつ)も血が止ず、三日計も小用に参ると、目舞致候。


 襲撃当日は、龍馬はどうも病み上がりで、疲れていたようです。例の慢性のマラリアの影響でしょうか。
怪我自体は「右手の親指を削がれ、左手の親指は関節を切られ、同じく人差し指は骨まで切られた。」ようです。それでも、龍馬は、「傷は大きなものではなかった。」としています。ただ、止まらぬ出血と蓄積した疲労で、逃走中に身動きが緩慢になってしまったのだと思われます。
しかしながら、傷は、後々も影響を及ぼしたようです。左の人差し指は、「思うように動かなくなった。」と言っています。その後、龍馬は多くの写真を残していますが、左手の人差し指を必ず隠すような姿勢をとっています。龍馬にとって、常に気にしないといけない傷をこのときに負うこととなったのです。




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