近藤長次郎が、イギリス密航の罪を問われ、自害しました。幼馴染であり、龍馬が勝海舟の門弟となったときからの同志であり、社中の仲間では最も付き合いが長く、信頼できた人物の死でした。
とめどなく流れる龍馬の涙に、同志を失った悲しみ以上に、長次郎のような人物が自由に生きていける時代を作り上げるという、龍馬の強い思いを感じました。

【近藤長次郎、自刃までの史実】
 近藤長次郎の自刃までの経緯・背景が、ドラマと史実では、シーン毎に少しずつですが異なっていました。(その少しのずれが積み重なると、だいぶ異なってしまうのですが・・・)
史実での事件の経緯・背景を記したいと思います。

 まず、薩摩藩名義、長州藩出資で購入した英名「ユニオン号」、薩摩藩名「桜島丸」は、購入後、一旦長州に赴きます。
それに先駆けて長次郎は、購入の交渉に当った長州藩士・井上聞多との間で、『桜島丸条約』なるものを極秘に結んでいたのです。ドラマでも、ちらっと出ていたアレです。
内容を現代語で記します。

・船旗は、薩摩藩のものとすること。
・乗組員は、(亀山)社中を中心とし、長州からは士官2名が乗り組むこと。
・船中の賞罰は、(長州の)仕官にも平等に課せられること。
・六百両のお金は、士官が預かること。
・船中の食費、士官、乗組員の給料、雑費は、長州が準備すること。
・長州が船を必要とした時は、薩摩に連絡すること。


 なんと、船価全てを払った長州には、ほとんどメリットの無い条約だったのです。これでは、長州側が納得いかないでしょう。全くの寝耳に水だった長州の海軍局から、案の定クレームが出たのです。
それでも、一歩も引かない長次郎は、「まだ長州からお金は払われていない。従って、長崎に持って帰ってグラバーに返す。」とまで言い出したのです。
そこで、薩長同盟周旋のために、たまたま下関に到着した龍馬が、条約内容を緩和させる仲介を行った・・・というゴタゴタが起きました。

 ただそれでも、井上聞多と伊藤博文は、長次郎の功績を非常に評価していました。
慶応元年(1865)11月10日付けの、伊藤博文から桂小五郎宛の書簡を紹介します。

 上杉(近藤長次郎の変名)も此度は一方ならず苦慮、(中略)
なほ、同人の英国行きの志に御座候ところ、我藩のために両三月も遅延仕り候故、何卒御おろそかは御座あるまじく候へども、政府よりきっと御礼これありたく愚考仕り候。金なれば百金なり二百金くらいは賜りても宜しきか存じ奉り候。(後略)


つまり「近藤長次郎は、大変苦労してくれた。イギリス留学の意向がありながら、3ヶ月も待ってくれた。政府より御礼もお願いしたい。百両か二百両くらいは出してもらっても良いのでは。」ということなのです。

 上記書簡によると、どうも近藤長次郎は、自刃の何ヶ月も前から、イギリスへの密航が決まっていたようです。確かに、薩摩藩の小松帯刀にもイギリス留学の相談をしていたという史料も残されています。
相当、自らを売り込んでいたことがわかります。

 ユニオン号は、一旦長崎に戻ることとなりました。
謝礼金をもらい長崎に戻った近藤長次郎は、慶応2年(1866)1月14日、グラバーが管理しているイギリス行きの船に乗り込みます。
しかし、天候不順のため、出航が1日延期となったため、陸に上がり宿泊していたところを、社中のメンバーに見つかってしまったのです。
『土佐維新勤王史』によると、次の様相でした。

「友を売るの奴、盟約に触りて直ちに制裁を下すべし」と即決し、この夜一同小曽根の別荘に会し、数人往きて上杉を拉し来りぬ。
まず沢村一同は容を改め「事大小と無く相談して之を行うべきは社中の盟約にして、盟約に背く者は、割腹してこの罪を謝するの明文あり。不幸にして社中にこの人あり。割腹して謝せよ。」


社中のメンバーが、規律違反の代償として、切腹を迫ったと。。。
逃げ場を失った長次郎は、当日夜に自刃し、29年の生涯を閉じたのです。

 このとき、龍馬は京都に滞在していました。
長次郎自刃の一方を耳にした龍馬は、非常に残念がった一方で、長次郎の自業自得を悔やみました。
『坂本龍馬手帳摘要』に龍馬の長次郎評が記されています。

術数余り有って至誠足らず。上杉氏の身を滅ぼす所以なり。
(訳:計算高すぎて、誠実さが足りない。長次郎が身を滅ぼす理由がここにある。)

饅頭屋長次郎。真の侍になろうとして、急ぎすぎたための結末だったのかもしれません。

【近藤長次郎の肖像写真からわかること】
 近藤長次郎の肖像写真が現存します。↓
ドラマでも紹介されていましたね。

tyo-jiro-20100823.jpg

ドラマでの近藤長次郎役の大泉洋さんは、どちらかと言うと温厚な表情をしています。これは、饅頭屋という温和なイメージを連想させるためなのかもしれません。
 一方、近藤長次郎本人はどうでしょう。
非常に鋭い眼光で、温和なイメージは全くありません。利発そうな中にも、威圧感を感じる表情です。
さらに帯刀を見てください。写真からは長次郎は小柄であることがわかりますが、刀が体の大きさに比べて非常に長いことがわかります。また見づらいですが、右手にはピストルを持っています。
 これはきっと「自分は侍である。」ことを強く意識するためのものだったと想像できます。(尚、土佐藩士は、比較的長刀を好んでいました。)
真の侍になりたかった長次郎。この写真に、長次郎の思いが凝縮されているのです。




それでは。



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