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龍馬の秘策とは・・・薩摩と長州が戦を始める前に、自ら両藩の仲を取り持とう・・・とするものでした。
沢村惣之丞や近藤長次郎から、日本を変えるという志を実現する仕事を速く見つけないと・・・とはやし立てられる中、龍馬が考え抜いた結果の秘策でした。
龍馬が、薩摩と長州の仲を取り持つという考えを実行に移し始めたのは、確かにこの頃。しかし、史実に忠実なのは今回のドラマではこれくらいでしたね。あとは、殆どが史実と異なる内容だったのではないでしょうか。

【龍馬と高杉が長崎で??】
 ドラマでは先週に引き続き、龍馬と高杉が長崎に滞在して、色々接触がありました。
しかし、これは史実ではありません。時系列を確認してみましょう。
龍馬達は、慶応元年(1865)4月28日に薩摩藩船胡蝶丸で大阪を立ち、4月30日頃に長崎に寄港しました。しかし、滞在期間は1,2日のみで、すぐに出航し鹿児島に向かいます。
そして、慶応元年5月1日に鹿児島に到着しています。
『坂本龍馬手帳摘要』の当日の日記に次の記載があります。

五月朔、鹿児府ニ至ル。(朔は、1日の意)

この時の龍馬らの長崎滞在期間は、本当にわずかの期間だったのです。

 一方、高杉たち。
確かに、ドラマでの高杉のセリフにもあったように、長州藩ではこの頃高杉らの活動により、藩論が下関開港、更には長州藩独立の方向に進みつつありました。そこで、高杉、伊藤俊輔、井上聞多は、隠密にイギリス密航を計画し、長崎を訪れています。しかし、それは慶応元年3月21日のことです。その後、イギリス側に密航をとがめられ、あきらめて直ちに下関に戻ってしまいます。
 そして、長州の支藩であり下関を管轄している長府藩は、高杉らの下関開港計画を知って激怒し、高杉らの暗殺を企てます。危険を察した高杉は、4月下旬に四国へ逃亡し、5月には讃岐の多度津に滞在していたことが分かっています。

そう、龍馬がわずかに長崎に滞在していた4月30日頃は、高杉は四国を東に向かって逃亡していたときなのです。
会えるわけが無い・・・(笑)


【龍馬らのカステイラ】
 ドラマでは、近藤長次郎らが、カステラを見よう見真似で焼いて、商売をしようかと試みていましたね。
龍馬達の前掛け姿が、愛らしいシーンでした。
龍馬らがカステラ作るなんてうそ!と思っている方も多いかと思います。しかし、実は龍馬達が「海援隊」を結成した後のこととなりますが、海援隊作成の「カステイラ・レシピ」が実在しています。
国の重要文化財に『雄魂姓名録並海援隊日史秘記』という史料があり、その中の『雄魂姓名録』は、海援隊が残した雑記帳のようなもので、当時の著名な人名や事件、時間の数え方、訓練号令集、アルファベットなど、色々な内容が記録されたものです。この『雄魂姓名録』に最後のほうに、「カステイラ・レシピ」が記されています。では、そのレシピを紹介しましょう。

カステイラ仕様
正味
玉子 百目
うどん 七十目
さとふ 百目
此ヲ合テヤク也
和蘭実方




 まあ、龍馬たちが慶応元年4月末のこの時期に、実際にカステラを作っていたかをしたかいうと、眉唾ものですが・・・
如何せん、龍馬達は数日しか長崎に居なかったので。




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