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 薩摩と長州の仲を取り持とうとする龍馬でしたが、うまくいかず桂小五郎を激怒させてしまいました。なかなかうまく行きません。
 そして、上川隆也扮する中岡慎太郎が、登場しましたね。いや~、やっぱり演技がうまい。さすが、龍馬を演ずる役者の先駆け。ドラマが引き締まった感じがしました。

【桂小五郎、激怒!】
 薩長の和解は非常に難しく、一筋縄ではいかないのですね。西郷隆盛にあしらわれた桂小五郎は、激怒していました。
その、桂小五郎の激怒度合いが示されている実際の記録があります。本当に、龍馬たちは大変だったようです。
『維新土佐勤王史』から引用します。

 桂怫然色を作して曰く。僕固より足下等の言を疑ふ、今や果して然り、と袂を払ふて去らんとす。二人百方陳疎し、且つ誓ひで桂の面目を立つべきを説きしが、桂稍怒を霽し「然らば先づ薩藩より使者を我に派し、和解の議を申込まるべし、然らざれば諸隊必ず極力之に反対せん。且つ薩藩の名義を借りて、外商より艦船を購入するの一儀を周旋されたし。

 「元々、あんたたちの言っていたことを疑ってたんだ。やっぱりそうだった。」と言った具合だったんですね。龍馬と中岡慎太郎は、百回も平謝り。そして「薩摩から使者をよこして、薩摩から和解を申しでろ。そして、薩摩の名義で長州が船を買えるようにしろ。」と。
今風に言うと、少々「逆ギレ」の感が否めませんが、この後、龍馬達は慌てて、西郷を追って京都に向かうのです。

 さて、上の「維新土佐勤王史」の文章のうち、「且つ薩藩の名義を借りて、外商より艦船を購入するの一儀を周旋されたし。」について、気になりませんでしたか?これが、龍馬の作った商社「亀山社中」の初仕事となるのです。既に、伊藤俊輔から同様の話を受けていた龍馬は、この頃薩摩から長崎に移動した近藤長次郎ら同志を動かして、外国船購入の活動を開始させるのです。

【実は、龍馬は疲れていた】
 今回のドラマでも、龍馬は限りなくエネルギーを発散し続けて、とても熱かったですね。
ただ、史実の龍馬は、この頃だいぶ疲れていたようです。同志を従えつつ、操練所閉鎖を経験し、薩摩への売り込み、薩長同盟の周旋と慌しく毎日を過ごす龍馬。疲れるのは当然かもしれません。
桂小五郎が逆ギレした日から20日ほどさかのぼった、慶応元年閏5月2日の龍馬の日記『坂本龍馬手帳摘要』に、次の記載があります。

 曽病アリ。依而養生ノ為、宿ヲ外浜町村屋清蔵ニ取。 □□医ヲ撰ンデ長府かなや町多原某を求、不日ニ平癒スト。期一七日トス。

曽病とは、以前からある病気という意味で、つまり持病を持っていたようです。
龍馬の持病とは、何でしょう?明確な記録はありませんが、「竜馬がゆく」の作者である司馬遼太郎先生は、この小説の中で、「龍馬の持病は、マラリアである。土佐は南国だからこの病を媒介する蚊が多い。竜馬は子供のころにかかって、ずっとこの持病になやまされている。」としています。

マラリアとは、上にもある通り、蚊を媒介とする感染症で、発熱、頭痛、吐き気などを伴う病気で、人命にも関わる危険な病気でした。放置しておくと慢性化することもあるらしく、龍馬は慢性のマラリアだったのかもしれません。蓄積した疲労から、持病が発症してしまったのかもしれません。
日記では、「しばらくしたら治る。17日位には。」ということですので、2週間位は安静にしておくように医者から言われたのでしょう。しかし龍馬は、2日後には宿泊先の移動を開始しています。
そして、やっと治ったと思われる時に、薩長和解の周旋失敗に遭遇してしまうのです。
この時の龍馬は、さぞかし辛かったろうと思います。。。


毎週愛読しているブログからの引用ですw
これから、毎週更新引用して更新しよっかな。




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